大阪地方裁判所 昭和42年(ヨ)2053号 判決 1969年7月10日
申請人
樋口文男
代理人
小牧英夫
外九名
被申請人
日本生命保険相互会社
代理人
三宅一夫
外四名
主文
被申請人は、申請人を被申請人茨木支社に勤務する従業員として仮りに取扱い、且つ申請人に対して昭和四二年七年九日以降毎月二〇日限り一ケ月金一〇、〇〇〇円の割合による金員を仮りに支払え。
申請人のその余の申請を却下する。
訴訟費用は被申請人の負担とする。
事実
第一、当事者の求める判決
一、申請人
被申請人は、申請人を被申請人茨木支社に勤務する従業員として取り扱い、且つ申請人に対して昭和四二年七月九日以降毎月二〇日限り一ケ月金六二、〇七〇円の割合による金員を仮りに支払え。
二、被申請人
本件申請は、これを却下する。
訴訟費用は申請人の負担とする。
第二、事実上の主張
一、申請の理由
(一) 被保全権利
被申請人(以下会社ともいう)は保険事業を営む相互会社であり、申請人は、昭和三〇年三月に高等学校卒業後会社により内務職員として雇傭されて、福岡月掛営業部(後の福岡月掛支社)に勤務して奉仕係と外務係の業務に従事し、昭和三五年七月からは本店に転勤して振替収納課の記帳係と文書係の業務に、昭和三八年四月より料金課集金管理係の業務にそれぞれ従事し、昭和四〇年四月からは茨木支社に転勤して奉仕係長にそして昭和四一年四月には第一奉仕係長にそれぞれ任命されてその業務に従事して来た者であり、後記解雇当時に会社から毎月二〇日限り一ケ月平均金六二、〇七〇円の割合による賃金の支払いを受けていた。また申請人は、会社従業員をもつて組織されている日本生命労働組合(以下組合という)の組合員である。
しかるところ、会社は申請人に対して、昭和四二年三月一八日に同年四月一日付をもつて宮崎支社第一奉仕係長への転勤を命じ(以下本件転勤命令という)、申請人がこれに応じなかつたところ、さらに同年六月五日付をもつて事故欠勤を理由に一ケ月間の休職を命じたうえ、同年七月八日付をもつて、休職期間満了を理由として解雇する旨の意思表示を為し(以下本件解雇という)、それ以降被申請人茨木支社に勤務する従業員として取扱わないうえ、その翌日以降前記金額宛の賃金を支払わない。しかしながら本件転勤命令は後述するように無効であり、したがつてこれに応じなかつたことを理由とする右休職命令およびその期間満了を理由とする本件解雇もまた無効といわねばならない。
(二) 保全の必要性
そして申請人は会社から支給される賃金を唯一の収入とする労働者であつて、会社から茨木支社の勤務に応じて貸与されている代用社宅に妻裕子と子供二人とともに居住して生活しているところ、本件解雇により会社からは賃金の支給をたたれたうえ右代用社宅から退去するようにともせまられている。そして、現在では、妻裕子が会社に勤務して支給される賃金月額三五、〇〇〇円と「樋口夫妻をはげます会」からのカンパ月額一万円足らずをもつてもつぱらの収入とし、保険や住宅積立等を解約し生活内容を極度に切りつめるなどして、申請人一家の生計を維持している状態にある。そのうえ、申請人夫妻は、婚姻の当初より子供を保育所に入所させて共働きすることを生活設計の基本理念としているところ、本件解雇のためにこれも覆えされている。したがつて、申請人においては、被申請人茨木支社勤務の従業員たる地位の確認と前記賃金の支払いを永めるべく本訴を提起せんとするところ、本案判決による救済をまつてはその生活上計り知れない損害を蒙るおそれがある。<以下略>
理由
一労務の提供場所の確認を求める訴の適法性(事実摘示第二の二記載の主張に対する判断)(以下の記述で当事者の主張を摘示する場合には、事実摘示第二事実上の主張欄における記号のみで表示する)
労働契約では、労働者はその労働力の使用を包括的に使用者に委ねるものであるから、労務の種類、態様、場所などは特にこれを特定する旨の合意がなされない限り、それらを個別的に決定する権限は使用者が有する。しかしながら、労働の場所は、労働者の生活についてその本拠とも不可分の関係にありそれに対して与える影響ははなはだ重大なものであるから、賃金や労働時間などとともに重要な労働条件にあたり、労働契約の要素をなすことは明らかである。したがつて、使用者が前記権限を行使して、労働者に対してその労働場所を変更させる旨の転勤を命ずる場合、これは労働条件を一方的に変更させもつて労働契約の内容をも変更する、形成的効果を生ずる意思表示であると解される。
そうすると、労働者が転勤命令の効力を争つてその法律効果により定められる労働場所の確認を求めることは、現在の労働契約内容である労働条件を確定させる意味があるので、かかる法律関係の確認を求める訴は適法である。そして、本件仮処分申請のうち「申請人を被申請人茨木支社に勤務する従業員として取扱う」ことを求める部分は、右訴を本案とするものであつてもちろん適法である。そこで、以下本件申請の実体関係につき、判断しよう。
二当事者間に争いない事実。
会社が保険事業を営む相互会社であり、申請人が、昭和三〇年三月に高等学校卒業後会社により内務職員として雇傭されて、福岡月掛支部(後の福岡月掛支社)に勤務して奉仕係と外務係の業務に従事し、昭和三五年七月からは本店に転勤して振替収納課の記帳係と文書係の業務に昭和三八年四月より料金課集金管理係の業務にそれぞれ従事し、昭和四〇年四月からは茨木支社に転勤して奉仕係長に、昭和四一年四月第一奉仕係長にそれぞれ任命されてその業務に従事して来た者であり、後記解雇当時に会社から毎月二〇日限り一ケ月平均金六二、〇七〇円の割合による賃金の支払いを受けていたこと、申請人が会社従業員をもつて組織されている日本生命労働組合の組合員であること、会社が申請人に対して、昭和四二年三月一八日に同年四月一日付をもつて宮崎支社第一奉仕係長への転勤を命じ、申請人がこれに応じなかつたところ、さらに同年六月五日付をもつて事故欠勤を理由に一ケ月間の休職を命じたうえ、同年七月八日付をもつて休職期間満了を理由として解雇し、翌九日以降申請人を茨木支社従業員として扱わず且つ賃金の支払いをしないことは、当事者間に争いがない。
三解雇事由の所在。
<証拠>によれば、会社就業規則第二八条第二号には「転勤を命ぜられた者はすみやかに新任地へ赴任しなければならない」との定めが、第二三条には「業務外の傷病による欠勤は傷病欠勤として、私事による欠勤は事故欠勤として取扱う」との定めがあり、就業規則付属規定第四休職規定第一条第二号には「事故欠勤引続き一ケ月以上にわたつた場合」には一ケ月間の休職を命ずることがある旨定められ、就業規則第四二条第三号には解雇事由として「休職期間が満了した場合」が定められていることが、一応認められる。
一右事実と前記争いのない事実によれば、申請人については本件転勤命令が無効でない限り、就業規則所定の解雇事由が存在したものということができる。そこで、以下右転勤命令の効力につき判断するが、会社において右転勤を命じた意図に争いがあるので、まずその点から考察しよう。
四本件転勤命令の業務上の必要性(四の(一)・(二)の主張について)
会社が組合員たる従業員に対して転勤を命ずる根拠としては、労働協約第一六条に「会社は、組合員の人事異動を行なう場合には主として業務上の都合による外、本人の生活条件、能力を公正に考慮し、且つ本人の希望を参考にする」旨定められていることは当事者間に争いがなく、また前顕乙第一七号証によれば、就業規則第二八条第一号には「会社は、業務のつごうによつて、職員に転勤を命じ、または職種の変更を命ずることがある。」旨定められていることが一応認められる。そこでこれらの定めにいう業務のつごうおよび本人側の事情並びにそれらについての会社の判断を検討しよう。
(一) 会社が、大阪に本店、東京に総局、大阪・東京・名古屋・福岡に営業局、全国各地に一〇〇支社と三分室およびその傘下に一、五四三支部、九九支所、二五一分駐所を有する大企業であり、その従業員が内務職員一三、一六三名、医務職員一六三名、労務職員三九〇名、奉仕職員三三四名、外務職員四四、六〇五名におよんでいることは、当事者間に争いがない。
(二) そして、<証拠>によれば、右従業員のうち内務職員とは、医事、現業および契約勧誘保険料集金関係の外交等の業務を除いた部門の業務、すなわち内局的な普通事務処理を中核とした業務に従事する者であり、そのうちでも女子職員については、大阪東京地区の勤務者は本店や総局でその外の地区勤務者は各支社で採用されており、管理職にもつけられず(こまやかな注意は要しても)定型的で単純な業務に従事し、また転居をともなう転勤を命ぜられることもないのであるが、男子職員においては、最終学歴高等学校および大学卒の両者とも本店で採用され、程度の差こそあれ一応全員が将来の管理職要員として取扱われ、その昇格状況は高校卒標準者の場合入社後八年目で主任補同一〇年目で係長に登用されており、係長を平均九ないし十年在職すれば概してその後上級の役職に昇格していること、会社では定期人事異動制をとつており、その時期は役付者には四月、非役付者には四月と六月に実施しているが、男子内務職員については一、二の特殊技術者を除いてその対象となり、その際に昇格やその後任者の充員および各職種相互間での配置換および転勤(以下両者を含めて「異動」という)が、頻繁且つ広範囲にしかも全国営業所間にまでわたつて行なわれており、会社としてはこれによつて職階に対する従業員の充当のほか右職員に対して各種の業務を体験させる意図を待ち、その状況は、係長級においてはそれまでに平均二年八月で異動し、平均四年二月で転居を伴つた転勤をしており、また昭和四二年度の異動規模は役付者一、六七七名のうち課長級以上三七〇名、課次長級一〇八名、係長級三三二名合計八一〇名、非役付者一六〇名が異動し、そのうちで三四四名が転居をともなう転勤であつたこと、会社では全国各地に社宅や代用社宅を置き従業員中約四五〇〇名(但し、医務・外務各職員を含む)を入居資格者と定め、そのうち三、〇八九戸(昭和四二年八月三一日現在)が貸与されていること、会社の支社営業部門には奉仕係、外務係、支部があるが、奉仕係の職務としては、次回後保険料の収納管理を主たる業務とし、そのほかさらに契約内容の変更、契約者貸付、保険金や解約払戻金の支払等の業務を担当し、これが第一奉仕係、第二奉仕係に分かれるところでは、前者が個別扱いの次回後保険料収納管理業務を遂行し、後者が総括事務をも含めてその余の業務を一さい遂行することになつているので、結局第一奉仕係の分掌事務は営業部門のうちでは質的には最も一般的定型的なものであること(昭和四二年五月八日現在、宮崎支社では第一奉仕係の係員を女子内勤者一〇名で構成して業務を遂行していた)が一応認められる。
(三) つぎに、<証拠>によれば、宮崎支社では、昭和四二年四月の定期異動で前年度外務係長が大分支社外務主幹に栄転したので、その後任を補充することになつたところ、同係長は新契約関係事務と外務員の人事管理を所管しており、しかも、同支社では近年外務員や新契約実績の増加率が全国で一、二を争うほどに顕著に増加していたので、この近年の動きに通暁し、また同支社長からも強く推せんされている同支社奉仕係長を後任外務係長に配置換し、そして同支社奉仕係については新契約増加にともなつて次回後の維持管理すべき事項が多くなり、係員も増加しているのでこれを第一、第二奉仕係に分割したが、第二奉仕係は係員数も少いため慣例どおり係長を内務課長に兼務させて、第一奉仕係長を任用することにしたところ、内務課長が総務係長の出身であつた奉仕係業務に通じていないため、これをも補佐させるべく右任用基準としては奉仕係長または第一、第二両奉仕係長を経験したものであつて、しかも九州地区の地域性より九州出身者をこれに当てるのが適当であると、会社は考えていたこと、申請人と同年度に入社した高校卒男子内務職員は四九名おりそのうち二九名は転居をともなう転勤を二回経験しているのに対し、申請人は昭和三五年七月本店転勤の際に転居をともなう転勤をしているがその後約七年にわたり在阪勤務しており、前記係長級の転勤状況に照せば、申請人には転居をともなう転勤を命ぜられる時期にあり、また同人は、本店では料金業務に従事し茨木支社でも奉仕係長と第一奉仕係長に各一年づつ就任しているので、奉仕係および同係長の業務には相当通暁していること、申請人は久留米市の出身であつて、宮崎とも地縁のない方ではないこと、等の事情があり、会社はこれらの事情を総合して申請人を宮崎支社第一奉仕係長の適任者と考えたこと、が一応認められる。
(四) <証拠>によれば、申請人は昭和三八年一月に裕子と婚姻し、その家庭生活の基本方針を「夫婦は共働きして、子供は保育所に入所させること」におき、以来裕子は会社大阪営業局外務課に勤務し、同年一二月には長女朋子が昭和四〇年一〇月には次女晶子がそれぞれ誕生したのであるが、保育所事情が極めて悪いために子供の預け先を捜すのに相当苦労を重ね、その未やつと昭和四一年七月に朋子を同年一二月に晶子をそれぞれ高槻市立の保育所に入所させられたこと、本件転勤命令当時申請人は家族四人で高槻市内にある会社の代用社宅に居住していたこと、会社が従業員から生活条件や希望を聴取する手段として、毎年五月一日付と一〇月一日付で身上調査票を提出させているところ、申請人においては、昭和四一年五月一日付の分には「転勤不可能な事情はない」「転勤したいとは思わず」と回答したが、同年一〇月一日付の分では「転勤不可能」と回答してその理由には夫婦共働きと保育所関係をあげ、また裕子においても身上調査票に保育所の関係で転勤できない旨回答していること、それに対して会社では、男子内務職員は転勤を前提として採用している、係長の場合業務上の必要性は非役付者よりも高い、共働きであることを理由に転勤させないとなれば、共働きしていない者との間で不公平になる、会社従業員の賃金は高水準であり、ことに申請人は月収一〇万円以上を得ているうえ宮崎では代用社宅(使用料月額一、五〇〇円)も貸与されるのであるから、裕子が退職しても充分に生計を維持できること、会社従業員同士の場合の夫婦の共働きの場合その八割までが妻は二年未満で退職しているところ、申請人夫婦の共働きはすでに四年を経過していること、等の事情にもとづいて、申請人から表明された夫婦共働きを続けたいとの生活条件や希望については、前記業務上の都合にもとづく転勤を差控えさせるほどの理由とはなり得ないと判断していること、が一応認められる。
以上の事実によれば、会社の男子内務職員ことに係長級の者においては、定期人事異動によつて広範囲にわたる職種および営業所間でしかも頻繁な異動が行なわれており、そして(三)記載の事実のもとでは申請人も宮崎支社第一奉仕係長の適任者であることは間違いなく、また(四)記載の会社の考え方も従来からとられて来た人事政策から当然に導き出されるものであるから、本件転勤命令は、それによつて申請人が著しく苦痛を強いられ、またそれが発せられるにつき不当な意図がひそんでいない限りは、一応業務上の必要性に基づい為されていると推定される。
五不当労働行為の成否
そこで、不当労働行為の主張について、考えてみよう。
(一) まず、申請人夫妻の組合活動につき考察しよう。
1 <証拠>により疎明される組合組織の概略は、つぎのとおりである。すなわち、組合には、中央機構として、議決機関である大会と中央委員会および執行機関である執行委員会が置かれ、下部機構としては、分会組織に相当すべき基礎組織たる支部が支社単位に置かれ、数支部が合わされて中間組織たる地区会を構成することとし、ただし、本店と東京総局については地区会を基礎組織としている。そして、支部において大会代議員を選出し、さらにその中から中央委員が地区毎に選出されるほか、支部と地区会には、議決機関として支部総会、同委員会、地区総会、同委員会が置かれ、右各委員会において常任委員会若干名およびその中から三役を選出し、これが執行機関たる支部と地区の各常任委員会を構成することとし、また必要に応じて専門部が置かれる。
2 つぎに、申請人が、組合福岡月掛支部において昭和三二年五月から昭和三三年四月までと昭和三四年五月から昭和三五年四月までの各一年間支部書記長、昭和三三年五月から昭和三五年四月まで大会代議員をつめていたことは、当事者間に争いないが、この間に同人が特に活発な活動をしていたことを認むるに足る疎明はない。
3 そして、申請人が、昭和三五年七月に本店に転勤して振替収納課に所属し本店地区会の組合員となつたこと、昭和三六年五月から昭和三七年四月まで地区常任委員、厚生対策部長をつとめていたことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、申請人は、昭和三七年五月から昭和三八年四月まで地区教宣部副部長をつとめるほか、振替収納課の職場組織では機関紙「ふりしゆう」編集委員をつとめて教宣活動にはげんでいたこと、同課に自動封入機が導入された際これに反対する職場活動を行なつたこと、本店地区会婦人部において「お茶くみ雑用撤廃」の運動をおこしていた際に職場内でこれを支援する活動をしたこと、は一応認められるのであるが、右活動の詳細な内容および右期間中のそのほかの活動についてはこれを認むるに足る疎明がなく、結局、昭和三八年四月までは申請人が会社から注目されるほどの活動を行なつていたとは認められない。
4 つぎに、申請人が昭和三八年五月から昭和四〇年三月まで本店地区委員長、中央委員、代議員をつとめていたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、申請人が昭和三八年一二月から昭和四〇年三月まで全生保大阪支部委員長に選任されていたことが、一応認められる。そこで、右期間内に本店地区会において申請人の行なつた活動につき考察しよう。
<証拠>によれば、次の事実が一応認められる。
(1) まず、本店地区会について述べるに、組合には約五万七、八千人の組合員がいるところ、そのうち内勤者である組合員は約一万人でその余は外勤者である。そして、組合運動は勤務の性質上内勤者が中心となつて推進されているところ、この内勤者については約二、五〇〇名が本店に勤務してその余が全国一〇〇支社およびその管内支部に分散して勤務している。そして、組合支部は、営業所が分散しているうえ職員構成でも外勤者の占める割合が大きくその所属組合員数も四、五百名にとどまるのに対して、本店地区会においては、所属組合員数が約二千五百名と分会組織の中では最も大規模であるうえ、そのすべてが内勤者であつてしかも同一建物内に就労しているので、組合員の日常的職場活動や有機的な団結をするには最も条件のととのつたところであり、したがつて、組合の中では最も高い闘争力を秘めた組織である。そしてまた、本店内には、会社および組合の中央機構が所在するうえ、会社からの事務合理化をはじめとする労務政策が早期に典型的な姿で実施されるところでもあるから、そこにおける労使間の力関係ないし組合の団結活動は、象徴的意味をもつて社内に流布されて行く可能性があり、また、本店地区からは組合本部に対して執行委員二五名のうち五名を選出しているので、この点でも影響力をもつ可能性がある。このように、本店地区会が組合全体の運動に対して影響を与える可能性については、実に大きなものがある(但し、組合本部や組合員全体に対して、現にどの程度の影響を与えていたかについては、これを認むるに足る疎明がない)。
なお、本店地区会にも支部が設けられているが、これは主に課を単位とした職場組織であり、また、同地区会には各部門の専門部が設けられているが、そのうちの婦人部は、本店地区会に約一、三〇〇名の女子組合員がいることおよび全組合員中約七割が女子であることから、本店地区会内部での重要な位置を占めていた。
そして、本店地区会は、標記期間内につぎのような活動を行なつた。
(2) 会社では、事務合理化のためIBM社より七〇七〇型電子計算機を導入(賃借)して昭和三七年一〇月より本使用を開始したところ、オペレーションの稼動時間が延長しオペレーターの残業が長期間にわたるようになつたので、それをきつかけとして昭和三八年二月頃会社はオペレーターの勤務時間について、午前九時から午後四時までと午後一時から同八時までの時差勤務制をとることを、本店地区会に対して提案し、あわせて将来は他企業並みに右計算機を一日一三時間稼動できるように労務体制を確立すべく移行をはかつたが、地区会では右業務従事者の生活を破壊することおよび右勤務体制が他職種にも及ぼされるおそれあることを理由に右提案に反対し、そしてオペレーターの所属する計算機械課をはじめ他種場においても職場集会でこの問題を討議しまた地区会では反対の教宣活動を行なつたりしたので、会社としても、その後電子計算機をより高性能の七〇七四型に変えて当座の業務量でならば、オペレーターに残業させなくとも処理できるようにもなつたので、同年一二月に前記提案を撤回した。
(3) つぎに、昭和三八年五月に組合員箕口俊枝が所属長に対して、育児休憩を午前午後分あわせて一時間としこれを終業直前にとらせて欲しい旨を申し出たところ、所属長より昼休みをはさんで三〇分ずつ取るようにとの指示があつた。そこで、地区会ではこの問題を箕口俊枝に有利に解決すべく支援することとし、職場集会で討議したり地区会で支援の教宣活動を行ない、また他方では会社側と交渉した結果、同年七月頃会社が始業直後三〇分終業直前三〇分に育児休憩の使用を認めたので解決した。
そして、その後、会社の女子従業員には右解決の内容にしたがつて育児休暇をとる者が殖えて行なつた。
(4) 昭和三八年九月に労働基準法第三六条による協定の改定にあたつても、地区会ではこれを職場集会で討議し、そして従前よりも残業時間を一時間半短縮して更改した。
(5) また、本店地区婦人部では昭和三七年以来生理休暇の完全取得とその有給化を要求していたが、昭和三八年一〇月と昭和三九年三月には生休取得月間を設けて、生理期間中に生理休暇ないし普通休暇を取るようにすすめて行なつたところ、月間中は半数近くの者が休暇を取つていた。
(6) さらに本店地区では政治運動もこれまでになく活発に行なわれるようになり、昭和三八年六月二三日には原潜寄港反対六・二三全関西神戸集会に組合員七〇名が参加し、同年八月六日の原水禁世界大会には組合代表二名を含む組合員七名が参加し、同年九月一日には原潜寄港反対F一〇五撤去九・一佐世保一〇万人集会に組合員二〇名が参加し、また右原水禁世界大会や昭和三九年三月一日のビキニ・デーの頃にはそれをキャンペーンをするバッヂが頒布され組合員が着用したり、また右集会に関連してカンパや報告会等も行なわれ、そのほかにも政治や社会問題に関連した活動が相当に行なわれた。これらの活動の多くは、自主サークルや専門部が主体となつて行なわれ、常任委員会においても、相当にこれを支援しまた推進し、その動きにつき組合本部から批判されるに至つた。
すなわち、組合本部では、組合における政治活動については本店地区会乃至常任委員会とはちがつた見地から関心を示しており、まず昭和三八年五月には当時所属の金融共闘が政治的傾向を犯しているとしてそこからの脱退をきめ、ついで各支部(地区会)三役宛に文書で「組合組織の中における政治活動について」との同年一〇月一日付通達を発し、前記本店地区における政治活動と思われるものを批判して、最近機関を通じて特定政治路線を宣伝せんとする傾向があること、本店地区には共産党細胞や民青同の活動があり、「本店情報一四三号」などは共産党の指示する原水禁活動路線にそつており内容も「アカハタ」の焼直しであることは、組合活動は経済問題を労使対等の立場で解決することを本務とするものであるから、その政治活動も右本務をふみはずしてはならないこと等を指摘した。そして、この金融共闘脱退と一〇月一日付通達に対して、本店地区常任委員会ではその都度組合執行部に懇談を申入れて反対の態度を表明している。
(7) 以上の本店地区会の活動(但し、(5)を除く)は、常任委員会の指導のもとに展開されたのであるが、申請人はその中心にあつて重要な役割を果していた。
そして、右時期における本店地区会の活動の特色としては、第一には、職場問題をとりあげてこれを職場討議などの所謂職場活動を進めることによつて解決をはかつたこと、そして生理休暇の取得や有給化、育児休憩の取得等を要求する所謂権利闘争の形で多くあらわれていること、第二には、合理化政策反対を強く打出して来たこと、第三には、政治活動に対して積極的姿勢を示したことであつた。
以上の事実が一応認められるのであつて、その余の申請人主張についてはこれを認むるに足る疎明はなく、また右認定を覆えすに足る疎明もない。
5 そして、申請人が昭和四〇年四月以降組合茨木支部に所属して昭和四一年五月から支部常任委員をつとめたことは当事者間に争いがなく、申請人本人尋問の結果によれば、申請人は右役員にあわせて支部調査部長と職場調整委員をつとめていたこと、昭和四一年度外務員賃上闘争では同人も支社長への抗議行動に参加したこと、また組合活動を通じてつちかわれた発想が第一奉仕係長としての職務遂行にもあらわれ、職員資格選考委員会で外務職員に有利な意見を述べたり、昭和四一年一〇月頃には当時の業務量を処理するには係員が少なすぎるので増員して欲しい旨を支社内務課長や同次長に要求し、それが断られるや自ら係業務の処理にもあたつてその事務渋滞を理由として支社役職者の会議には一部欠席したこと、昭和四一年五月の支部役員選挙では申請人も支部委員に立候補する予定であり、そして支部三役に選出される可能性もあつたこと、が一応認められる。
6 申請人の妻裕子が、昭和三四年三月会社に入社して昭和三八年一月まで本店振替収納課に勤務しまたそれ以降は大阪営業局に勤務して、昭和三七年四月に本店地区常任委員、労働強化対策委員、代議員に選出されたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、樋口裕子は、昭和三五年から一年間職場組織の機関紙「ふりしゆう」の編集部員となつてその教宣活動に従事し、昭和三六年七月から一年間にわたつて本店地区婦人部常任幹事、同副部長をつとめ、当時婦人部において行なわれていた「お茶汲み雑用撤廃」と生理休暇取得等の運動やパンチャー連絡協議会の結成などに参加したこと、昭和三七年四月に前記役員に選出されて同年五月から昭和三八年四月までこれをつとめたこと、右期間を通じて振替収納課職場や婦人部における組合活動には積極的に活動していたこと、しかし、昭和三八年五月からは一年間本店地区委員をつとめたがさしたる活動もしていなかつたこと、が一応認められる。
(二) そこで、かかる申請人らの活動に対して、会社がいかにこれを受けとめていたかを考察しよう。
1 <証拠>によれば、会社では勤労課(労働組合関係を担当する)において昭和三九年一月四日付で労働情勢報告を作成して、これを各支社長、部課長に配布して、当面の労働情勢に対する会社側見解を表明しその対応を指示していることが一応認められる。
その内容は、第一に、昭和三八年一〇月二二、二三日に開催された全生保定期大会の概況を記述し、第二に「組合における政治活動について」と題して、組合本部の発した同月一日付通達とそれに対する本店地区会、東京総局地区会、各支部の動き(五、(一)、4、(6)の後段の認定事実参照)を記述したあと、第三に、「本店内における民青グループの動きについて」と題する項目を設け、「本店地区では最近特に従来の労使慣行にさからつた、言葉をかえれば、本部とは違つた行き方をとる事例が多い。」と問題点をあげ、その原因として若年層の特質とともに民青グループの影響を指摘し、これにつき「中でも注目すべきは常任委員会に占める民青グループのウエイトであり、地区委員会のそれに対する批判力の欠除ないし無関心であろう。民青同盟員あるいはその同調者と目される者は地区委員長をはじめ常任委員の半数以上を占めており、その方向は推して知るべしである。そしてこれを批判すべき立場にある地区委員会は右記の如き構成((注)年令、会社歴とも若い層によつている旨分析されている)であるためにさしたる反対意見もなく、地区会の決定と」なるし、東京海上や住友生命労組との最近緊密となつている連携も民青活動を通じて為されており、また婦人部にも常任委員会と同様の動きがあると記述し、つぎに民青同活動として行なわれる態様について、「政治的活動」として、これには同盟員以外の者も含むサークルを構成しさらに他組織とも連携することや日生平和を守る会や諸種実行委員会などにつき説明し、「文化・体育活動」として、この活動が従業員を民青同に導入するにつき効果的だとされていることや、映画会講演会杉の子コーラスにつき説明し、「権利闘争」として、「最近、特に目立つのが権利闘争であるが」「組合内部での活動としては最も賢明な方策」であり「育児休暇の獲得、生理日の全員休暇ないしは完全有給化、パンチャーの休憩室設置等」が、住友生命や全損保の各労組と相前後して組合側から提起されていることから、「民青グループの提携活動とみるのが至当」と記述し、「職場内活動」として、民青的活動家の所属する全青、外職、牽引、保険証券等の課では、機関紙の発行、労働学校の開催、ハイキング等の行事が相当行なわれていること等が記述され、同項目の末尾に結論的に「常任委員会の名における民青同活動が本店地区の質といえよう。」との見解を示し、第四に、「支社における左翼活動の状況について」と題する項目を設けて、「本店から配転した活動家のうち」で、「依然(あるいはより以上に)活発な活動を続け相当の影響力をもつ者もある。活動は、コーラス、ハイキングにはじまる民青同方式であるが、支社には思想的に白紙の職員が多いだけに留意する必要があるだろう。」、と注意を喚起しているのである。
右記載によれば、会社においては、社内に共産党や民青同の活動がもちこまれることを非常に不都合であると考えていたところ、本店地区常任委員会や同婦人部の執行部については、その主要メンバーが申請人をはじめとする民青同盟員により構成され、その活動も共産党路線に沿いないしは民青同活動そのものであると判断して、それ故にこれを注目し嫌悪してその動きを警戒していたこと、当時の本店地区会の常任委員会や地区委員会の構成をもってしては、右共産党路線に沿つた組合活動が自律的に修正できないと考えていたこと、これらの民青的活動家については、本店から支社に配転した後にも充分に監視して行く必要があると考えていたこと、等を窺い知ることができる。そして、この会社側の見解は昭和三九年一月当時にいだいていたものであるが、これがその後基本的に変更されたことをうかがうに足る証拠はなく、かえつてこの見解が維持されていたことは右報告書が出されて以後、会社側職制が民同問題について示した以下の言動によつて示されている。
2 まず、<証拠>によれば、船場支社においては、昭和三九年度の人事異動によりそれまで本店地区婦人部で活動していた組合員畑昌子が同支社に転勤して来たところ、同年秋頃山口次長は組合員萩原道子に対して、畑とはつきあわない方がよい旨警告し、同年一〇月頃にも山口次長は組合員細川某に対して、畑のグループとはハイキングに行かない方がよい旨警告したこと、昭和四一年二月頃永井総務係長は組合員金原幸子外二名に対して、他労組の主催するスキー会参加のための有給休暇取得の申出につき強く拒んだこと、同年三月に金原と組合員甲斐道代が同年四月一日付定期昇給に差等を設けられたことにつき釈明を求めた際、山口次長は両名に対して、その民青同活動によつて迷惑を蒙つている者がある旨注意したこと、同年秋頃永井総務部長は、同支社内にも民青同盟員がいるからそれに近付かないように述べたこと、が一応認められる。
また、<証拠>によれば、本件転勤命令が発せられた前後にも京阪支社においては、昭和四二年二月一日に組合員中野好子が朝礼で賃金について希望を述べたところ、田中次長はただちに共産主義分子の言うことだと反論したこと、同年三月田中次長は入社式で民青同には注意するように述べたこと、同年三月二二日桐山課長は組合員西川福子に対して、前日のハイキングのメンバーをただしたり、民青同とは結びつきを作らないように注意したこと、同年四月一日には、前支社長が内勤幹部に対して転任あいさつをした際に、組合活動をするにつき民青同と交流するのはよくない旨述べたこと、が一応認められる。
なお、申請人の主張する八・(四)記載の事実中、右認定を除くその余の部分については、そのなかに民青同に対する差別意思のあらわれやあるいはその事実自体、を認むるに足る疎明はない。
(三) つぎに、組合活動家に対して、会社がとつている不利益取扱等の処置につき考察する。
1 まず、昭和三七年四月の定期人事異動においては、組合本店地区教宣部長、同常任委員、中央委員、代議員をつとめていた森田武司が本店から鹿児島支社に転勤させられたことは当事者間に争いがなく(但し、後三者の役員歴は<証拠>により認定する)、<証拠>によれば、組合本店地区婦人部では部長、副部長など執行部若干名と常任幹事若干名が転勤させられたことが、一応認められる。
2 つぎに、昭和三九年四月の定期人事異動においては、<証拠>によれば、組合本店地区常任委員では、副委員長友金良雄が大阪団体支社へ、教宣部長中林晴雄が平塚支社へ、文化部長吉木某が前橋支社へ、青年部長辺母木某が鹿児島支社へ、婦人部長森井久美子が阪神支社へ、厚対部長井川某(女子)が堺支社へと総数一二名中六名が転勤させられたこと、同婦人部役員では常任幹事一一名が転勤させられたこと、同教宣・文化・厚対・組織各専門部でも相当数の部員が転勤させられたこと、前記労働情勢報告書で民青同の政治活動組織として指摘されている日生平和を守る会の会長近藤二三男に対しても、同人の妻が本店に勤務しているにも拘らず名古屋市への転勤が命ぜられ、結局同人は右赴任後経済的理由から在阪の他企業に転職していること、組合東京総局地区会でも委員長市野某、副委員長兼教宣部長武藤璋(但し、五月一日付)が都内支社へ転勤させられたこと、が一応認められる。
3 そして、昭和四〇年四月の定期人事異動で申請人が係長に登用されたうえで茨木支社へ転勤させられたことは、当事者間に争いがない。
4 また前記転勤させられた者のうち、森田については、<証拠>によれば、昭和三九年に福岡月掛支社へ昭和四〇年に久留米支社へ転勤させられていること、その間昭和三八年に支部常任委員、同教宣部長、昭和四〇、四一年に支部書記長、昭和四二年に支部副委員長をつとめていることが一応認められ、また同期社員の標準音が昭和四一年に係長に登用されているのに同人は主任補にもなつておらないことは当事者間に争いがなく、武藤については、前記転勤後東京北支社、世田谷支社に勤務し昭和四二年四月には入社後一〇年目になるのに係長にも登用されず新潟支社へ転勤させられたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、その間同人は組合東京北支部では支部常任委員、中央委員を昭和四一年五月から昭和四二年三月までは組合世田谷支部副委員長の南東京地区会副委員長、中央委員、代議員を各つとめたこと、同人と同期に入社した者で係長に登用されなかつたのは極く僅少であること、右新潟転勤によつて会社池袋支社に勤務していた同人の妻は退職を余儀なくされたことが一応認められ、森井については、証人森井久美子の証言によれば、その後阪神支社宝塚支部、豊中支社曾根支部、同庄内支部に転勤させられていることが一応認められる。
5 そして、申請人本人尋問の結果によれば、昭和四〇年四月頃茨木支社長が申請人を昼食に誘つた間に組合茨木支部では支部委員選挙を行ない、そのために申請人が委員に選出される機会が奪われたことが一応認められ、また証人中庸の証言によれば、昭和四二年度定期昇給にあたつては申請人に対する人事考課を前年度よりも低く評価していることが一応認められる。<証拠判断略>
しかして、前記五の(一)、(二)記載の事実に照らして右事実を考えると、2、3で述べた一連の本店地区からの転勤には、会社が組合本店地区会における民青同系と推測される組合活動家に対して、その活動を嫌悪して、それに報復すべく不利益に取扱う意図、ないしは右地区会からその活動を排除するための意図が含まれていたこと(それが決定的動機であつたかはともかくとして)は否定出来ないというべきであり、また4、5についてもその疑いが相当認められる。
(四) そこでつぎに、本件転勤命令が申請人におよぼす影響を考えてみよう。
前述したように、申請人は、熱心な組合活動家であつて、その活動領域は思想傾向ともあいまつて職場活動を基礎にした分会活動にあった。そして、申請人本人尋問の結果によれば、申請人は昭和四〇年四月組合茨木支部に移つた後においても右方針によつて活動していたことが窺われ、それに基づいて昭和四一年五月には支部常任委員、同調査部長に選出されまた昭和四二年度も同様に役員に選出される見込みがあつた。したがつて、この様な職場活動を基盤とする組合活動家である申請人においては、茨木支社に職場を定められて二年間で職場を変えられたのでは組合活動上著しく不利益を受けるものと推認することができる。
つぎに、申請人の生活関係につき検討するに、申請人は九州とはいつても久留米市の出身であり妻裕子の実家も寝屋川市にあるから、一般的に考えてもそのような場合に在阪支社から南九州宮崎所在の支社に転勤させられると生活上不利益をおぼえるものと推認される。しかも本件転勤命令当時の申請人の生活事情は、前記四、(四)に認定したとおりであつて、裕子は会社大阪営業局に勤務し子供二人は高槻市立の保育所に入所しているものであるから、この生活関係において申請人が本件転勤命令に応ずるとすれば、申請人は単身で宮崎に赴任せざるを得ないことになり、そうなれば遠隔の地で妻子との別居生活を余儀なくさせられて大きな苦痛を受けることは明らである。これに対し申請人一家がこの苦痛から免れようとすれば、会社が裕子を申請人と同一勤務地乃至その近辺に転勤させない限り、裕子が退職して家族一同で宮崎に生活の拠を移すほかないこととなる。
(五) ところで会社において、従業員が共働き家庭を営んでいることを理由としてこれを転勤させずにおくことは共働きでない者との間で公平を失するとの見解で、共働きの事実を度外視して従業員の異動を行なう方針をとつていたことは前記並びに<証拠>によつて明らかであるところ、前記のとおりの多数従業員を全国的に擁する会社におけるものとしてこの方針に首肯すべき一面のあることは否定できず、<証拠>によれば現に共働きの会社従業員中には会社の右見解と軌を一にする考えの者が少なからずあつたことが疎明されるけれども、この方針の具体的実現に際して会社として、夫婦が遠隔の地に別居を強いられ或いはその一方が退職に追こまれる様な、生活状態に重大な変動を及ぼす結果となる事態を可能な限り避け、会社の業務の必要性の充足と従業員の受ける苦痛との均衡につき慎重な配慮を加えるべきは前記当事者間に争いのない労働協約第一六条の定めによつても当然というべく、かたわら申請人については妻裕子も会社に勤務しているのであるから、妻が他の企業等に就職している場合と較べてこの様な配慮をするについての支障は少なかつたものと推認される。
これに対し、申請人を宮崎に転勤させた場合申請人が裕子との別居を余儀なくされて苦痛を受けることを会社が知つていたことは右各証言と弁論の全趣旨によつて明らであるところ、会社がこの苦痛を除くかたわら右方針をも貫くため、裕子を申請人と同伴で同一勤務地乃至その近辺に転勤させるよう考慮検討した等の事情を疎明するに足る証拠はなく、かえつて前記認定事実と右証拠によれば会社においては、申請人が裕子と別居するに至りしかも高槻市内の前記代用社宅を裕子のため貸与を受け続けることができなくなることは前記方針よりして当然との前提で、別居を避けるために裕子が退職に追こまれてもこれは、申請人が前記のとおり高額の賃金を得ておりまた宮崎で低額家賃の代用社宅の貸与を受ける以上別段顧慮するに足りないとの考えの下に、前記一般的方針に従う以外に特段の配慮を加えることなく本件転勤命令に及んだことが疎明される。
ひるがえつて、宮崎支社において担当者を必要とした第一奉仕係長の職務内容が営業部門のうちでは質的に最も一般的定型的なものであり、また従来職員中係長級の者についても広く且つ頻繁に職務間の配置換および転勤が行なわれてきたもので、本店統計課より支社奉仕係長に転出した例もあること前記認定事実と証人中の証言によつて疎明されるところであるから、前記のとおり多数の職員を擁する会社において宮崎支社第一奉仕係長の職務自体についての適任者は決して少なくないものと推認されるところ、これに対し会社においてこれら適任者の家庭の状況、生活条件等につき検討の末、申請人の如く夫婦別居を強いられ或いは妻が退職を余儀なくされる結果となる者を除いては他に適任者がないとの結論に至つたため申請人を選んだ等の事情を疎明するに足る証拠はない。
なお宮崎支社第一奉仕係長をつとめるについて九州地区に地縁を有するものであることが顧客との接触等の点から実務上好都合であることは証人青木の右証言によつて疎明されるけれども、申請人以外に右地縁を有する第一奉仕係長適格者がなかつたことを疎明するに足る証拠はないのみか、証人中の証言によれば昭和四〇年四月本店より宮崎支社奉仕係長に右地縁のない者が転出したことが疎明されるのに対し、右地縁のなかつた結果として業務の正常な運営に支障を来した等の事情の疎明はないので、申請人が九州に地縁を有することは申請人を選ぶについてさして重要な因をなしてはいなかつたものと推認される。
(六) 以上の諸点を綜合すれば、本件転勤命令は会社の業務上の必要に基づいて発せられたというには合理性に乏しく、申請人の分会活動を嫌悪してこれを制約し且つ分会の組織運営に対し支配介入することを主たる動機として発せられたものと推認するに難くない。
よつて本件転勤命令は労働組合法第七条第一号、第三号所定の不当労働行為に該当するので無効であり、申請人にはかかる無効な業務命令に従う義務はないから、就業規則第二八条第二号、第二三条、就業規則付属規定第四休職規定第一条第二項に基づく休職命令を受けるいわれはなく、したがつて就業規則第四二条第三号所定の「休職期間満了した場合」にあたらないので、本件解雇は無効である。
六以上によれば、申請人は被申請人茨木支社に勤務する従業員の地位にあり、昭和四二年七月九日以降会社から毎月二〇日限り一ケ月平均六二、〇七〇円の割合による賃金の支払いを受ける権利がある。
七そこで、仮処分の必要性につき判断するに、前述のように、申請人には、妻と子供二人の家族とともに会社から貸与される代用住宅に居住しており、また、証人樋口裕子の証言によれば、申請人一家は解雇後生活規模を切りつめて月額六万円を支出して生活しているところ、申請人には会社から支給される賃金以外には収入がないので、妻裕子の会社から支給される賃金月額約五万円(含賞与)と樋口夫妻を守る会から支給されるカンパ資金月額約一万円をもつて全収入としている事実が一応認められる。
そして、本件解雇が無効であるにも拘らず、会社は申請人を従業員として取扱わないものであるから、申請人には雇傭契約上の地位を仮りに確定しておく必要が認められ、また、申請人一家の生計を維持するについてはまず配偶者に収入がある場合には申請人は第一次的にはそれをもつて生計費に充てるべきであるから、それに不足する分につき仮処分による仮払いの必要が認められるべきであるところ、現在最低限度の生活を維持するのに必要な月額約六万円のうち一万円についてはいまだ確定的な収入がないと認められる。
八したがつて、本件仮処分申請については、申請人が被申請人に対して、申請人を被申請人茨木支社に勤務する従業員として仮りに取扱うとともに、昭和四二年七月九日以降毎月二〇日限り月額一万円の割合による金員を仮払いするように求める限度では必要性が認められるので、これを認容し、その余は必要性を認められないのでこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。(大野千里 横畠典夫 木原幹郎)